みなさんこんにちは。チェスキーです。
4月12日の「ナカイの窓」に、
中居正広さんとも大変縁の深い
岡平健治(おかひら けんじ)さんが出演されます!
お名前だけ聞いてもピンとくる方は少ないかもしれませんが、
19(ジューク)
とか
「あの紙ヒコーキ くもり空わって」
とか
もしくはその曲や歌声を聞けば、
思い出す方は多いのではないでしょうか?
中居正広さんとも大変縁の深い方なのですが、
久しぶりの再会とのこと。
19として歌手をしていた時と現在とでは
かなり状況が違うんだとか!
元19のボーカル、岡平健治さんの
プロフィール(1ページ目)
19時代の年収は?(1ページ目)
19の解散理由は?(2ページ目)
現在の仕事や年収は?(2ページ目)
について調べました!
元19(ジューク)ボーカル、岡平健治とは
名前:岡平 健治(おかひら けんじ)
誕生日:1979年3月28日(38歳)
身長:161cm
血液型:B型
出身:広島県呉市出身(生まれは長崎県香焼町(現・長崎市))
担当パート:ボーカル・ギター・ハープ(ベース、キーボード、琉球三味線も演奏可能)
岡平健治さんは、お父さんも吉田拓郎さん達と共に活動していたミュージシャンでした。
その遺伝か、中学生から多くのオーディションに参加して多くの賞を受賞し、
高校のときにはすでにラジオ番組の準レギュラーや路上ライブをしていた実力派。
そのままソロでデビューするかと思われましたが、
高校3年の夏にティーンズミュージックフェスティバルで、
ユニットの相方となる岩瀬敬吾さんと知り合います。
高校卒業後、1998年春に広島から大阪でのライブ活動を経て上京し、
最初は「少年フレンド」というユニット名で活動を開始します。
最初から「19(ジューク)」ではなかったのですね!
それぞれアコースティック・ギターを持ち、
高円寺や下北沢でそれぞれの作詞作曲である楽曲を
ライブハウスやストリートで歌っていたのですが、
自分の描いた詩に曲をつけてくれるミュージシャンを探していたイラストレーターの
326(みつる)さんと出会い、意気投合!
19のCDには必ず印象的な絵と、
心を打つ詩が書かれていましたよね。
これを担当していたのが326さんなのです。
そうして3人は、1998年11月に「19」をついに結成することになりました!
岡平健治の19時代の年収は?
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結成翌年の1999年に
「あの紙ヒコーキ くもり空わって」
で大ブームを起こします!
326さんの書く心を打つ詩も大流行しましたよね^^
紅白歌合戦にも出演を果たします。
岡平健治さんは、足を大きく開きながら
前後に揺れて歌うスタイルと、金髪が凄く印象的なので、
歌う映像を見たらみなさん
「あぁ、この人か!」と思いますよね!
一番売れていた時代は凄い数のCDが売れていたと思いますが、
事務所との契約で、
どんなに売れても月収10万円しかもらえなかったそう!
しかもその状態が2年間も続いたそうです・・・。
その後、契約を変更して印税を手にし、
その時に一気に5000万円を手にしますが、
正直もっと貰っても良かったと思います・・・。
まだ若く、いきなり売れてしまった19のメンバーは
金銭的に上手く交渉出来なかったのでしょうね。
次のページでは19の解散理由や再結成の可能性をチェック!
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