みなさんこんにちは。チェスキーです。
6月28日の「笑ってコラえて」に、
世界最年長パイロットとしてギネス記録も持っている
高橋淳さんが特集されます。
現在94歳で、しかも現役なんですよ!
今でも大空を飛んでいるんです!
それだけですごく高橋淳さんに興味がわきました。
しかし、調べてみると、
高橋淳さんの人生は壮絶なものでした。
飛行機の神様、高橋淳の経歴
高橋淳がパイロットになった理由
高橋淳の若い頃の画像がイケメンでスゴイ!
高橋淳の現在は?家族は?
飛行機の神様と呼ばれた高橋淳さんについて
みなさんで見ていきましょう!
飛行機の神様、高橋淳の経歴
名前:高橋淳(たかはし じゅん)
誕生日:1922年10月8日(94歳)
出身地:東京都
職業:パイロット(1941年より現役)
高橋淳さんは、大正11年に東京都に生まれます。
16歳の時に初めて空を飛んでから、
70年以上も第一線で活躍している現役パイロットです。
しかし、ただ現役だというだけではなく、
その操縦技術の高さでも知られており、
94歳とは思えないほどの腕前なんだそうです。
自動車免許の更新時にする身体測定では
50代
と出るくらいお元気なんだとか!
健康の秘訣は、もちろん日々の心がけが
一番だと思いますが、
「自分を90歳だと思っていない」
という高橋淳さん。
その心意気が若さの秘訣の一つでしょうね。
では、高橋淳さんが
パイロットになろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
高橋淳がパイロットになった理由と壮絶な戦争体験
高橋淳さんが初めて空を飛んだのは、
16歳の時。
たまたま開催されていた、新聞社のグライダー講習会に参加し、
飛行時間は30秒くらいだったそうですが
その体験で「パイロットになろう」と本気で決意されるのです。
学校を卒業したら民間のパイロットになろうと
思っていたそうですが、
1930年代後半から、日本は戦争ムード一色。
そこで高橋淳さんは、
どうせ軍隊に入らなくてはならないならば、
最初から海軍のパイロットになろうと思ったそうです。
そのため、予科練(海軍飛行予科練習生)に志願。
ここで2~3年入隊し、
操縦技術を見に付けて、
改めて民間企業に就職しようとしたそうですが、
そのまま太平洋戦争に突入してしまうのです・・・。
若い頃の高橋淳さんは
身長が180cmもあったそうで、
当時の日本人としてはかなりの高身長。
そのため大型の飛行機を操縦していたそうで、
特攻隊の使っていたゼロ戦に乗ることはなかったようですが、
戦地に赴いたら半分は帰って来れない舞台に所属。
毎日、同僚が亡くなる毎日でしたが
「絶対死にたくない」と思って飛んでいたそうです。
そして、運も良かったのでしょうね。
飛んでいた機体は一度も故障を起こすことなく、
北海道から本州に戻る汽車の中で
終戦を迎えます。
当時は、戦死=善 とされていた時代でしたが、
高橋淳さんが生きて帰ってきたことを
お母さんはとても喜んでくれたそうです。
そうしてたぐい稀なる経験をして生き延びたからこそ、
現在まで何事にも一生懸命に頑張られ、
現役最年長パイロットとして活躍されているのだと思います。
次のページでは、飛行機の神様の家族についてチェック!