みなさんこんにちは!チェスキーです。
2月21日の「世界の村で発見!こんなところに日本人」に
映画にもなった伝説の日系野球チーム最後の生き残り
である95歳の方が出演されます。
その方の名前は、
ケイ上西功一氏。
私も、映画「バンクーバーの朝日」を見たので、
懐かしくなり、
ケイ上西功一さんの生い立ちや経歴(1ページ目)
野球チーム「バンクーバー朝日」の結成理由(1ページ目)
映画「バンクーバーの朝日」でケイ上西役の俳優は誰?(2ページ目)
について調べてみました。
ケイ上西功一(けいかみにしこういち)の生い立ちや経歴
名前:ケイ上西功一(ケイかみにしこういち)
誕生日:1922年生まれ(95歳)
出生地:カナダ・バンクーバー
出身:広島県
ケイ上西さんは、日本からカナダに移民として渡った両親のもとに、
日系二世として誕生。
生まれはカナダですが、日本人として教育したいという母親の意向で、
しばらくは両親の出身地である日本の広島県で過ごします。
しかし、11歳の時に父親が亡くなります…
これをきっかけに、カナダに戻り帰化され、
正式に「カナダ国籍」を取得します。
カナダのバンクーバーには、移民として渡った日本人が多く住むパウエル街という街があり、
リトルトーキョー=日本人街として有名でした。
(日本でいう、横浜の中華街のようなイメージ)
そのパウエル街で、ケイ上西さんのお母さんは日本旅館を営み、
ケイ上西さんも幼いながらも家族を支えながら生活をしていました。
しかし、時代は19世紀初頭で、
まだまだ有色人種に差別意識が残っていた時代。
ケイ上西さん達も、日本人学校に通ってはいたものの、
どうしても白人からの差別には苦しめられていたようです。
恐らく、言葉や態度だけでなく、賃金や生活面などでも冷遇されていたと思います。
そんなバンクーバーの日系人達に希望を与えたのが、
日系人野球チーム「バンクーバー朝日」でした!
日系人野球チーム「バンクーバー朝日」の結成理由は?
1914年、初代の監督である宮本松次郎が率いる「バンクーバー朝日」軍が結成されました。
結成理由の当初の目的は、
「日本人としての大和魂や武士精神を日系二世へ教えること」だったといいますが、
「英語が出来なくても野球はできる」という、
日系人をバカにする白人たちに対する強い思いもあったようですね。
この松本監督が大変熱心に練習を重ね、チームは実力を付けていきます。
しかし、たとえ力はあっても日系人への差別意識はぬぐえず、
相手に試合でズルをされたり、馬鹿にされたり、そして審判にまで甘く見られたり、
きちんと試合することの時点で大変苦労をします。
それでも、「バンクーバー朝日」はめげず、どんなに馬鹿にされても
①ラフプレー(不必要に相手に体当たりをしたりスライディングをするような荒っぽいプレー)をしない
②抗議活動は一切禁止
という、フェアプレー精神=日本人魂 を徹底したことで、
そのプレーは「Brain Ball」(頭脳野球)や「Samurai Ball」(サムライ野球)と
日系人はもちろんのこと、カナダ人たちにも応援される大人気チームに!
その後、現在のマイナーリーグで1919年に結成5年目にして初優勝!
1926年には、アジア系カナダ人チームとしても初優勝を果たします。
さらに1930年と1933年にも優勝するほどのチームにまで成長し、
1935年には結成間もない東京ジャイアンツと試合もしています!
あのジャイアンツよりも早い結成だなんてすごいですよね><
しかし1941年には、残念ながらチームは解散されます。
理由は、太平洋戦争の開戦です。
選手たちはもちろん、敵国の血を引く日系人たちは、
戦時捕虜収容所や強制疎開地などに送られてしまったため、試合が出来なくなったのです。
それでも、その功績は後世にも伝わり、
2013年には、妻夫木聡さんが主演の「バンクーバーの朝日」というタイトルで映画化しました!
映画「バンクーバーの朝日」でケイ上西役は誰?次のページでチェック!