みなさんこんにちは。チェスキーです。
2月22日の「ザ!世界仰天ニュース」はアレルギー特集。
私の友人にも、悩んでいる子が結構いるので他人事に思えません。
今回は、なんと113年も続く老舗そば屋の跡取り息子が、
重度の蕎麦アレルギーであったことが発覚!
それでも、伝統を守るため、重装備でそばを打ち続けたそうですが、
昨年、切なすぎる決断がなされました…。
老舗そば屋、内神田の満留賀(まるか)とは(1ページ目)
店主竹本伸之さんの蕎麦アレルギー発覚、その後(1ページ目)
老舗そば屋、満留賀(まるか)の現在は?再開店はいつ?(2ページ目)
それでは見ていきましょう!
老舗そば屋、内神田の満留賀(まるか)とは?店名の意味や由来は?
今回取り上げられる老舗そば屋は、東京内神田にある
満留賀(まるか)
しかし、探すとこの同じ店名のお蕎麦屋さんっていっぱいあるんですよね!
実は、「満留賀」は当て字なんです!
時代は明治26年、創業者である加藤豊造は愛知県宝飯郡御津村から上京し、
「三河屋そば店」というところに奉公(お金をもらってする修行)をすることに。
七年後の明治33年3月、現在の港区のあたりに、
自分の名字の加藤の加に
○を付けて、
「(加)三河屋」として自分のお店を開店しました。
しかし、なんとご近所に「(三)三河屋」という屋号のそば屋ができてしまうのです!
これは、どっちがどっちだか分からずに紛らわしいので、
店名を「まるか」だけにしようと思い、偉いお坊さんに相談したところ、
「満留加」という三文字を授かります。
昔は、今以上に名前は運命を左右すると信じられていたため、
子供の名前ですら、お坊さんに付けて頂くことも多かった時代。
加藤さんも、ご利益を頂きたいと思い、相談されたのでしょうね。
その甲斐あってか、満留賀は大繁盛!
その後、弟子たちに「新しいお店に名前を使っていいよ」と
のれん分けを続け、現在はなんと300店舗以上!
その内の一つが、明治36年(1903年)に開いた、
内神田の老舗そば屋、満留賀なのです。
跡取り息子の店主、竹本伸之さんの蕎麦アレルギー発覚、その後は?
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内神田の満留賀の店主は、竹本伸之さんといいます。
現在は4代目。
113年続く、老舗そば屋の跡取り息子として誕生されます。
両親に他に子供がいないため、竹本さんが老舗そば屋を継ぐことになったのですが、
約6年前に、そばを打っている時に異変を感じます。
そう、竹本さんは蕎麦アレルギーだったのです!
お蕎麦屋さんを継ぐ前に分かっていれば、色々と対処の方法があったのでしょうが、
既に跡を継いでいた竹本伸之さんは、
マスク・ゴーグル・手袋をはめてそばを打ち続けることを決意!
蕎麦アレルギーは、アレルギーの中でもかなり反応が強く出る人が多く、
ちょっとかゆいとか口が腫れる程度なら軽い方で、
ひどいとアナフィラキシーショックといって、
喉の奥が腫れて呼吸困難になり、そのまま死に至る可能性も!
竹本さんが蕎麦アレルギーを患いながらもそばを打ち続けるという行為は、
まさに命がけの行為だということになります!
きっと、辛かったと思うのですが、
老舗そば屋の歴史を守るため、
そしてそばを楽しみに来てくれるお客様の為、
昨年の2016年6月まで、なんとか頑張り続けたのですが…
6月24日、突如お店の前にこの張り紙が出され、
店主の蕎麦アレルギー悪化の為、一時閉店
となってしまいました(涙)
きっと、ぎりぎりの状態だったのだと思われます。
次のページでは、老舗そば屋の満留賀の再開店はいつかをチェック!
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