みなさんこんにちは。チェスキーです。

 

4月4日の「開運!なんでも鑑定団」では、

独学で絵を学び、孤高の人生を送った幻の画家のお宝が登場です!

 

その「幻の画家」とは誰なのか?

調べましたら、

高島野十郎(たかしまやじゅうろう)画伯だと分かりました。

 

幻の画家、高島野十郎とは?(1ページ目)

登場するお宝や他の作品の画像は?(2ページ目)

お宝「蝋燭(ろうそく)」が飾られている古民家カフェ花音(かのん)の場所は?(2ページ目)

驚きの鑑定結果とは?(3ページ目)

 

についてまとめました^^

 

スタジオゲストのマーティ・フリードマンさんの記事はコチラ!⇒http://ceskylove.com/martyfriedman-anime-1891

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孤高の洋画家、高島野十郎とは?

出典:http://www.asahi-net.or.jp/

名前:髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう)
本名:高島彌壽(やじゅ)、字は光雄
誕生:1890年〈明治23年〉8月6日
没年:1975年〈昭和50年〉9月17日(85歳)
職業:画家
出身:福岡県御井郡合川村足穂(現在の福岡県久留米市合川町)

高島野十郎氏は、福島県の醸造家である髙島善蔵の父と母カツの、

六男二女の五男として出生します。

一番上のお兄さんも、家業を継がずに芸術の道に進んだため、

高島野十郎さんのお父さんから画家の道に進むことを大反対されます。

 

しかし夢をあきらめられなかった野十郎は、

反対を押し切って名古屋の高校に進学しますが、

高校1年の時に父親が病死してしまいます。

 

その悲しみにめげず、現在の東京大学に進学し、何と首席で卒業されます!

 

しかし、悲劇はさらに続き、東大卒業の1年後に、お母さんも亡くなってしまうのです・・・。

 

それでも、芸術への気持ちは消えず、兄弟の援助でドイツ・フランス・イタリアへ遊学し、

帰国後は実家の酒造をアトリエとします。

 

高島野十郎の壮絶で孤高の人生とは?

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1935年からは上京して南青山にアトリエを構え、2回の個展を開催しますが、

東京大空襲でアトリエが全焼してしまったり、

転居した先が今度はオリンピックの拡張工事区画に巻き込まれたりと、

なかなか苦労の多い人生でした。

 

最後は千葉県に住み、1975年に心不全で亡くなりました。

ずっと一人で住んでいて、生涯独身で通しました。
高島野十郎の凄いところは、

絵の技術は独学であったこと、

そして徹底した精神性でひたすら写実を追求していたこと。

家族も持たず、画壇とも一切関わらず、

孤高の人生を送った画家でした。

 

 

そんな高島野十郎の作品や、今回出演した依頼人のカフェの場所は次のページで!